例会の記録 2026年1月 「住宅の間取りと人と人の”間”」

新年最初の例会は、1月30日(金)、スペーシア会議室にて開催した。出席者はリアル5名、リモート2名。テーマは「住宅の間取りと人と人との”間”」。プレゼンテイターは私。

このテーマを取り上げたきっかけは二つある。

ひとつは、1年近く前になるが、父の実家を数十年ぶりに訪れたこと。伯母がひとりで住んでいたのだが、施設入所とともに空き家になりつつある。ついでに、すっかり過疎化してしまった山村集落を散策した。どこも空き家だらけで、夏休みに魚を獲ったりして遊んだ川は土砂で埋まりすっかり荒れてしまっていた。そして、川沿いにある母の実家の様子を見に行った。毎年、お盆と正月に一家で帰省し、いとこ達と遊んだ思い出深い家。こちらはすでに空き家になっているので中に入れない。両方とも典型的な田の字型の農家の間取りの家だ。

もうひとつのきっかけは、最近、台湾の小説家・楊双子さんの『四維街一号に暮らす五人』を読んだこと。日本植民地時代に建てられた「日式建築」をリノベーションした女性専用シェアハウスで4人の大学院生(美人揃い)と大家さんが繰り広げる胸キュン的百合小説であるが、巻頭にこの家の間取り図がある。この小説ではこの間取りが重要な役割を果たす。

これを眺めていて、私が中学1年まで過ごした古い家の思い出が蘇ってきた。昭和30年代前半に建てられ、たった十数年で壊されてしまったその家の間取りを記憶を辿って紙に描いてみたところ、かなり正確な間取り図ができた。さらにディテールを書き込んでいくと、子供の頃の記憶がどんどん蘇ってくる。

そこで気づいたことは、昭和30年代以前の日本の一般庶民の住宅は、昭和40年代以降とは異なる思想で設計されているのではないかということ。昭和30年代以前の建物は、廊下を介して部屋と部屋がつながるのではなく、多目的に使用され得る部屋と部屋が、襖や引戸はあるものの直接つながっていて、襖を閉めれば個室になり、襖を外せば大きな空間にもなるといったフレキシブルなスタイル。そしてプライバシーは概して緩い。こうなると「人と人との間の取り方」も違ってくるのではないか。

この家の場合、4畳半の和室が茶の間だった。長方形の飯台(円形のちゃぶ台ではない)、白黒テレビ、食器棚が置かれ、狭い空間で食事をした。6畳の和室が子ども部屋。襖一枚で仕切られているだけなので、プライバシーがあるとは言い難い。

間取りの歴史を少し調べてみた。

戦後、復興期を経て高度成長期となり、安価で良質の住宅を供給する必要が生じ、東京、大阪、名古屋などの大都市で集合住宅が多数建設された。その典型が「51C型」と呼ばれた公営住宅の標準設計だったそうだ。この型で重視されたのが「食寝分離」。茶の間がダイニング(D)やダイニングキッチン(DK)に変わり、ちゃぶ台や飯台がダイニングテーブルに、座布団がダイニングチェアになり、新たにリビング(L)という空間が登場した。こうして各部屋の機能は明確になり、「食寝分離」が実現した。これに伴い、夫婦の寝室や子供部屋などプライバシーが確保された個室ができ、それらの部屋を玄関ホールや廊下が繋ぐ形が主流になっていった。和室が減って洋間が増え、生活様式の洋風化が進んだ。

サラリーマン世帯が増えて核家族化が進み、近所付き合いも希薄になっていく流れの中で、住宅の間取りの面でも、人と人との”間”の取り方がより淡白に、より希薄になる方向に進んでいった。・・・これが私の仮説である。

<参考>

2026.5.20 M. Hayashi

3時間前