1月17日(金)、名古屋市東区の東桜会館の立派な会議室をお借りして、例会&歴史民俗部会を開催した。8名出席。講師は、今回もA. Watanabeさん。帰省のついでに例会&部会を設定したというわけ。当日のテーマは「ウヂとカバネの起源」だったが、後日改めて送ってもらったレジュメのタイトルは「ウヂと苗字の違い」であった。
氏(ウヂ)と姓(カバネ)はどう違うのか。姓と苗字、名字は同じと考えて良いのか。・・・
「氏(ウヂ)」は、一般的には「血縁関係のある家族群で構成された集団」、つまり「氏族」の呼び名だと認識されているが、古代日本においては、氏族そのものではなく、「祭祀・居住地・官職などを通じて結合した政治的集団」を指す。当時の貴族だった中央豪族や地方豪族の氏が有名だ。蘇我氏、物部氏、大伴氏、葛城氏、紀氏などは中央豪族で、上野毛氏、吉備氏、出雲氏、尾張氏などは地方豪族。こうした氏がついた名前は、読む際に「○○の○○」という風に氏と名の間に「の」が入る。大伴家持(おおとものやかもち)、藤原道長(ふじわらのみちなが)など。驚いたことに、古代の日本では庶民も氏を持っていたそうだ。その一方で、昔も今も天皇家は氏を持たない。
官職は世襲なので、ひとつの氏の中には上級の官職の者もいれば、下級の官職の者もいる。昨年のNHK大河ドラマ『光る君へ』では、藤原為時の娘、紫式部は、藤原道長の幼馴染で恋仲にあったとして描かれていたが、同じ藤原氏でも身分(父の官職)が違っていたので「正妻」になれなかった。
古代における「姓(カバネ)」は、現在の「姓(セイ)」とは異なり、氏のランクを表す称号であった。蘇我氏、葛城氏、紀氏などは「臣(オミ)」、物部氏、大伴氏などは「連(ムラジ)」というランクだった。蘇我臣入鹿、藤原朝臣道長など。
平安時代の終わりから鎌倉時代の初め頃、氏から苗字へと変わっていった。藤原氏は、近衛、一条、九条など。源氏は、佐々木、渡辺、松浦、太田、新田、足利、細川、吉良、今川など。例えば、足利尊氏の正式な名前は、源尊氏だったそうだ。
・・・Watanabeさんの詳細でマニアックな説明にはなかなかついていけなかったが、名前にまつわる話は興味が尽きない。以下、講義の内容から離れ、最近の話題も踏まえつつ勝手な論考を展開してみる。
「選択的夫婦別姓制度」の導入の是非が議論になっている。ところが調べてみると、政府/法務省では、これを「選択的夫婦別氏(べつうじ)制度」と呼んでいる。民法では姓や名字のことを「氏」と表記しているため、制度の名称も「別氏」にせざるを得ないようだ。さきほど「氏」は、一般的には血縁家族の呼び名であると書いた。しかし夫婦別氏になったら、その氏は必ずしも血縁家族の全体を表さなくなるのではないか。それでも、特に困ることはなさそうにも思う。子の苗字がどうなるのか気になるが、法務省のQAによると、子は全員、父母どちらかの苗字になるそうだ。
しかし、世界にはいろんな名前の付け方がある。
スペイン語圏の国では夫婦別姓だが、子の苗字の付け方に「複合姓」というものがあるらしい。例えば、『百年の孤独』、『コレラ時代の愛』などのベストセラー小説で有名なコロンビア出身のノーベル賞作家「ガブリエル・ガルシア=マルケス」の正式な名前は、Gabriel José de la Concordia García Márquezであり、ガルシア=マルケス(García Márquez)が苗字である。ところが、彼の父親の名前はGabriel Eligio García、母親はLuisa Santiaga Márquez Iguaránという。García Márquezという苗字は、父の苗字のGarcíaに、母の苗字であるMárquez Iguaránの前半分が結合してできた新しい苗字なのだ。これは面白い。日本でもやってみたらどうかと思うが、そういえばWatanabeさんの話によく似た例が出てきた。
豊臣秀吉のもとの名前は木下、出世してからは羽柴秀吉であるが、この「羽柴」は、織田家の重臣、丹羽長秀と柴田勝家の苗字から一文字ずつ取って新たに創った苗字なのだそうだ。では「豊臣」は何かというと、なんと、苗字ではなく「氏」なのだそうだ。したがって、豊臣秀吉の正しい読み方は「とよとみ の ひでよし」となる。
日本では、下の名前の付け方にはほとんど制約がなく、どう頑張っても読めないキラキラネームが溢れているが、苗字はそうはいかない。親や配偶者の苗字を継承せざるを得ない。選択的夫婦別氏制度の議論と併せて、苗字の付け方についても議論すると良いと思うが、そうはいかないだろうなあ・・・。
2025.3.24 M. Hayashi