複雑研合宿2022 静岡歴史探訪ツアー

11月5日(土)〜6日(日)、「静岡歴史探訪ツアー」と題して合宿を挙行した。7名参加。うち土曜日日帰り1名、土曜夜から合流1名。おおむねクルマ2台での移動となった。二日とも穏やかな晴天だった。訪問先は以下のとおり弥生時代から明治まで時代はバラバラ。まるで統一感がない。

  • 清見寺 (江戸時代、朝鮮通信使の宿舎として使われた)
  • 興津坐漁荘 (明治の元老、西園寺公望の別荘)
  • 登呂遺跡 & 静岡市立登呂博物館 (弥生時代の遺跡)
  • 瀬名の郷倉・番屋 (江戸時代に年貢米を保管した倉)
  • 曲金北遺跡 (古代東海道の遺構)
  • 静岡市歴史博物館 (仮オープン中、2023年1月本オープン)
  • 駿府城公園 (戦国〜江戸〜現代)

5日の朝、興津の清見寺 (せいけんじ) に集合。清見寺は、正確には「巨鼇山清見興国禅寺」と称する臨済宗妙心寺派の名刹である。そして何より、2017年10月にユネスコの「世界の記憶(世界記憶遺産)」に登録された朝鮮通信使関連資料全333点のうち48点が残されている朝鮮通信使マニア垂涎(?)の寺なのだ。

さっそく、1711年の朝鮮通信使、玄徳潤が書いた「東海名區」の扁額が掲げられた総門が出迎えてくれた。明治に開通した東海道本線により寺の敷地が分断され、総門の向こうに線路が走っているため、跨線橋を渡って境内に入った。

総門 門の向こうに東海道線が走っている。
総門に掲げられた「東海名區」の扁額

大方丈と呼ばれる本堂の壁面には、朝鮮通信使による多数の詩文や書が木版に写され、掲げられている。

大方丈の壁面 朝鮮通信使の詩文

名勝に指定されている庭園は、先ごろの台風で荒れてしまっていたが、広い境内の主な建物や公開されている収蔵品、人質時代の家康の勉強部屋などをひととおり見学した後、潮音閣で一休み。広々としており眺望は素晴らしく、気持ちが良い。今は海までは距離があり、港湾施設や住宅が見受けられるが、かつては海がそこまで迫り、海水浴場はすぐそこだった。潮騒の音がよく聞こえたから潮音閣と名付けたのだろう。大正天皇が好んで海水浴に来られていたという。

1607年(慶長12年)の朝鮮通信使で副使を務めた慶暹が書いた『海槎録』に次の記述がある。

夕刻、清見寺に到る。寺は巨鼇山麓に在る。寺の後ろには瀑布があり、その高さ七、八丈ばかり。水を引いて池となし、樹木は鬱蒼として景象幽厦である。層岩怪石、奇花異草、記し尽くすことができない。堂前には老梅が一査あり、蔓延屈曲して一庭を掩う。また葡萄や茄子の如きものもあり。門は大海に臨み、限界は極まりなし

潮音閣にて

さて、清見寺の参拝・見学を終え、歩いて次の目的地である興津坐漁荘 (静岡市立坐漁荘記念館)へ。この建物は、明治・大正・昭和の元老、西園寺公望の別荘。とはいえ、本物は1970年に明治村に移転・復元されており、興津の建物は、2004年にもとあった地に忠実に復元されたものとのこと。

応接室

ランチは、清水魚市場「河岸の市」魚市場食堂にて、マグロ丼や豪華な定食を賞味。

まぐろ料理

午後は、登呂遺跡と静岡市立登呂博物館を見学。登呂遺跡は小学校の教科書で勉強した記憶があるが、訪問したのは初めて。遺跡の敷地内の田んぼでは、ちょうど赤米の稲刈りが行われていた。

金秋の風景
登呂遺跡 復元された弥生時代の住居

夕食・懇親会は、静岡駅に近い居酒屋にて、名物のおでんなどを賞味。歴史家 A. Watanabeさんを中心に6人で歴史談義をしていたら、少し離れた席のご夫婦らしきお客さんがジィッとこちらを見ているではないか。気になって聞いてみたら、耳に入ってくる話があまりに面白くて思わず聞き入ってしまったとのこと。

二日目。朝、集合時刻まで間があったので、ひとりでホテルの周辺を散歩していたら、静岡駅に近い街中に寶泰寺 (ほうたいじ) という立派なお寺を見つけた。この寺も臨済宗妙心寺派だ。ふらっと境内に入ったら、なんと通信使平和常夜灯なるものを発見。この寶泰寺もまた、江戸時代、6度に亘って朝鮮通信使が来寺し、美しい庭園を愛でたとのこと。庭園にはあちこちに地蔵が置かれており、箒を持ったりあかんべをしている地蔵が可愛らしい。

通信使平和常夜灯
庭園で見つけたお地蔵さん

さて、最初の訪問先は瀬名の郷倉・番屋。この日は一般公開日ではなかったので、あらかじめ保存会の三浦会長さんに連絡し、特別に公開していただき、しかも副会長さんとともに丁寧に案内していただいた。改めて感謝したい。

郷倉とは、江戸時代、村で年貢米を保管した倉で全国各地に存在したが、現存しているものは数少ない。瀬名の郷倉は間口6間、奥行き3間と大きなもので、中は民俗資料館として整備されている。しかも隣には番屋が併設されており、全国的にも非常に貴重な文化財だと思われる。これを地元の自治会を元に組織された保存会の皆さんが管理しているという。文化財の管理は大変だと思うが、中の展示は遊び心がいっぱいで、楽しみながら取り組んでおられるところが実にいい。

瀬名の郷倉
郷倉の内部
番屋

次の訪問先は、曲金北遺跡。古代東海道の遺構で、道幅9m、その両脇に側溝や街路樹があったようだ。場所は、JR東静岡駅南口を降りて直ぐのJRの線路と「静岡県コンベンションアーツセンター」(グランシップ静岡) に挟まれた歩道。このの地下に遺構が埋まっている。よって、見られるのは看板だけ。みんなで記念撮影をした(冒頭の写真)。

この一角が古代東海道の遺構
案内看板。右が発掘された時の様子。

古代に整備された道路は、江戸時代の東海道などとは異なり、道幅がやたらと広く、路面は平らに均され、街路樹も側溝もあり、しかも可能な限り真っ直ぐに延びていた。遺跡の概要や発掘された経緯、古代の東海道については、以下のWikipediaに詳しい。

さて、グランシップ静岡1FのGALLEYでランチを食べた後、静岡市中心部へ移動し、いよいよ静岡市歴史博物館へ。 駿府城公園の一角に建つ3階建てのモダンなデザインの建物だ。

2023年、NHKの大河ドラマは『どうする家康』。家康にゆかりのある静岡市は大いに盛り上がっているようだが、この博物館のオープンは大河ドラマが始まる2023年1月であり、今はプレオープン中。したがって、見学できる展示物はわずかだが、博物館建設に伴い発掘された戦国時代末期の道と石垣が博物館の中にそのまま保存・展示されているのには驚いた。

ガラス越しに両側から見学できる。
戦国時代の道と石垣

続いて最後の訪問先、駿府城公園へ。折しも大道芸ワールドカップが開かれており、公園内はものすごい人でごった返していた。そんな中、大道芸やキッチンカーには目もくれず、天守台発掘調査の現場、坤櫓 (ひつじさるやぐら)、紅葉山庭園、東御門・巽櫓 (たつみやぐら) を見学した。天守閣などの目立つ建物はないが、展示内容は素晴らしく充実していた。

天守台発掘調査現場
家康の像
紅葉山庭園
名古屋城の金のしゃちほこがなぜか駿府城にある。

以上、駆け足でツアーの概要を振り返ってみたが、秋の日の充実した二日間であった。

2023.11.13 / M. Hayashi

2年前