例会の記録 2022年9月「居場所のマネジメント」

9月14日(水)、スペーシア会議室において9月例会を開催。今回は、「居心地」シリーズの一環として、中京大学経営学部 向日 恒喜 (むかひ つねき) 教授を招聘。「居場所のマネジメント」をテーマにご講演いただき、居心地との関連性などについて意見交換を行った。出席者は、リアル6名+講師、リモート2名の計9名。

当日は、活発な議論が展開され、非常に有意義だった。参加者それぞれ自分の経験に照らし、思わず「うんうん」と頷く話が多かったのではないか。向日教授に改めて感謝 !!

さて、以下に掲載する記事は、例会から1ヶ月が経過して、講演の内容を思い出しつつ、私なりに思うところを書いてみたものなので、中身の責任は全て私にあることをあらかじめお断りしておく。


居場所と自尊感情

「居場所」は「自尊感情」と大いに関係がある。この関係を探るのが向日教授のテーマである。

心理学用語である「自尊感情 (自尊心)」の英訳は self-esteem だが、「居場所」に当たるぴったりの英語がないらしく、英訳すると place になってしまうとのこと。そこで昔の歌を思い出した。

Country roads, take me home to the place I belong, West Virginia, Mountain mamma, take me home, Country roads.

1971年にジョン・デンバーが大ヒットさせたカントリーの名曲「カントリーロード」。原題は”Take Me Home, Country Roads”。この歌のサビの部分に出てくる the place は、「故郷であり、本来の自分がいるべき場所、いつかは帰るところ」くらいの意味だろうか。

これがフーテンの寅さんなら、葛飾柴又の町であり、実家の団子屋であり、腹違いの妹のさくらなのではないか。今読んでいる川本三郎の著書に、山田洋次監督『男はつらいよ』のこんなエピソードが紹介されている。

 第一作の「男はつらいよ」は冒頭、寅のこんなナレーションが流れる。「桜が咲いております。懐かしい葛飾の桜が今年も咲いております。思い起こせば二十年前、つまらねぇことで親父と大喧嘩、頭を血の出るほどブン殴られて、そのまんまプイッと家をおん出て、もう一生、帰らねぇ覚悟でおりましたものの、花の咲く頃になると、決まって思い出すのは故郷のこと……。ガキの時分、洟ったれ仲間を相手に暴れまわった水元公園や江戸川の土手や帝釈様の境内のことでございました」「そうです。わたくしの故郷と申しますのは、東京、葛飾の柴又でございます」(『「男はつらいよ」を旅する』川本三郎著、新潮選書より)

つまり、「居場所 = the place」とは、どうしようもない短所や過去の過ちも含め、あるがままの自分を暖かく受け入れてくれる場所みたいなイメージ。そうした場所では、「自尊感情を損なわない」でいられるのだ。

ここで注意すべきは、自尊感情には2種類あることだ。(A) 他者の評価を元にした自尊感情。(B) 自分自身の価値基準に照らした内発的な自尊感情である。職場における「居場所」や自尊感情を考える際、この区別は重要となる。

内発的な自尊感情

職場とは、企業にしろ役所にしろ非営利組織にしろ明確な目的をもった集団が形成する組織であり、その職場内では常に、組織の目標に沿って構成員の評価が行われる。上司が部下を評価し、同僚同士でも評価し合い、それが報酬や人事に反映されていく。これは業務を効率的に回していく上ではやむをえない。

しかし、こうした職場の中で他者による評価がもたらす「居心地の良さ = 居場所」は、あまり安定しているとは言えない。なぜなら、ポストや職務内容などの職場環境が変われば、また上司や同僚などの評価者が変われば、それまで培われた自尊感情が簡単に傷ついてしまうことがある。そんな時、その人がかつての居心地の良い職場環境以外に自尊感情を損なわない「居場所」を持たないとしたら、メンタル的に厳しい状況に追い込まれてしまうかもしれない。

だとすれば、精神衛生上、「(A) 他者の評価を元にした自尊感情」だけでは不十分で、「(B) 自分自身の価値基準に照らした内発的な自尊感情」を持つことが大切になってくる。それでは、(B) の自尊感情とはどのようなものなのだろうか。どうすればそうした感情を得られるのだろうか。

赤塚不二夫の傑作漫画、『天才バカボン』がヒントになるかもしれない。キーワードはもちろん「これでいいのだ」である。

https://www.koredeiinoda.net/manga/bakabon.html

2008年に亡くなった赤塚不二夫の葬儀で弔辞を読んだのはタモリさんだった。その中に次の一節がある。

あなたの考えはすべての出来事、存在をあるがままに前向きに肯定し、受け入れることです。それによって人間は、重苦しい陰の世界から解放され、軽やかになり、また、時間は前後関係を断ち放たれて、その時、その場が異様に明るく感じられます。この考えをあなたは見事に一言で言い表しています。すなわち、「これでいいのだ」と。

タモリさんの弔辞

ところで、「バカボン」という言葉の由来にはいくつかの説があるそうだが、そのひとつに「薄伽梵」がある。仏教用語で、悟りを開いた仏の意味。「これでいいのだ」は、煩悩を脱した悟りの境地に通じるのかも。

とても仏教的な天才バカボン

話を戻すと、「(B) 自分自身の価値基準に照らした内発的な自尊感情」を得るためには、他者による評価ではなく、自分自身の価値基準をもとに、自分で自分を評価し、「これでいいのだ」と思うことが求められる。

しかし、自分で自分を評価するといっても、何か尺度がないと難しいのではないだろうか。とすると、職場のようにすぐに他者と比較されてしまう環境ではなく、自分で自分を客観的に評価できる別の場所が必要になってくる。例えば、ボランティア活動など職場とは違う環境に身を置いてみることは意味があるだろう。それから趣味に励むこと。畑で野菜を育てるとか、俳句を作るとか。あるいは、そもそも他者との比較に馴染まない世界、例えば日本百名山にチャレンジするとか、全く独創的なアートに没頭するとか。

そうした領域では、他者との比較よりも、向日教授の話に出てきた「過去の自分との比較」が意味を持ってくるだろう。昨日の私より少しだけ上手くなったとか、前回よりへたばらずに山に登れるようになったとか。

私なりにまとめてみると、「(B) 自分自身の価値基準に照らした内発的な自尊感情」を得て、精神的に安定した「居場所」を得るために必要なことは、次の二つ。①多様な世界に身を置くこと。②過去の自分との比較など、他者が介在しない自分自身による評価基準を持つこと。

サード・プレイス

次に、「居場所」と「居心地」との関係について考えてみる。すぐに思い出すのが「サード・プレイス」という言葉だ。Wikipediaによると、

コミュニティにおいて、自宅や職場とは隔離された、心地のよい第3の居場所を指す。サード・プレイスの例としては、カフェ、クラブ、公園などである。

とある。スターバックスが「サード・プレイス」を目指している話は有名だ。しかし、欧米と日本では少し様子が違うのではないだろうか。

「おかえり」「ただいま」が聞こえてくる居心地の良い場所。サードプレイスの価値とは

都会の洗練されたビジネスマンの利用が多いことを想定していたスタバ。ところがこの北千里店は、大都市郊外の住宅地に立地し、リタイア世代が多く利用しているようだ。

明治以降、故郷を離れて都会に出て働くようになった多くの日本人にとって、職場は、農村社会の濃密な地縁コミュニティのコピーなのではないだろうか。特に戦後の復興期から高度成長期にかけて、集団就職などで大量の若者が都市へ移住し、とにかく一生懸命に働き(仕事中毒)、結婚し(職場結婚が多かった)、子育てをした(多くは核家族で、子供は二人)。そうした境遇では、「居場所」は家庭と職場しかないけれど、職場の居心地は悪くなかった。職種ごとではなく企業 (職場) 単位の労働組合。対立的でなく曖昧な労使関係。そして年功序列・終身雇用などの日本的雇用。社員旅行、忘年会、冠婚葬祭。多くの日本人にとって職場は、決してお金を稼ぐためだけの場所ではなく、本来の自分がいるべき「居場所」(= the place I belong) だったのではないか。

ところが、サラリーマン (もっぱら男性) が定年退職すると、そうした「居場所」を一気に失ってしまう。そこで、地縁コミュニティが希薄な大都市郊外の住宅地などで、喫茶店やカフェが大事な役割を果たしてきたのだと思う。もっとも、職場という「居場所」を失った定年退職者にとっては、「セカンド・プレイス」なのかもしれないが。

しかし、地縁コミュニティがすっかり希薄になっている中で、労働組合の弱体化、非正規労働の増加、コロナ禍によるリモートワークの増加などにより職場のコミュニティがどんどん希薄になっている今、「居場所」がないのは定年退職者だけではない。現役バリバリ、働き盛りの人にとっても本来の自分がいるべき場所と思える「居場所」がない。また、日々、学校や塾、お稽古事に追われて、バーチャルなゲームの世界以外に「居心地の良い居場所」を持てない子供たち。

心地良い居場所の条件

そうした人々に「心地良い居場所」を提供することができるのは誰なのか。また、どんな場所なのだろうか。・・・こんな記事を見つけた。

「ドン横キッズ」の現在 名古屋・栄にたむろする少年少女たちに聞いた 進む行政の居場所づくり

居場所のない青少年のために県警が設けたフリースペース「e-NE」。3日間だけだったようだが、成果はどうだったのだろうか。また、キャンプ場のようなしつらえにした意図は何だったのだろう。

福祉の世界では、社会福祉協議会などにより高齢者の居場所づくりが熱心に行われている。例えば、いきいきサロン、ふれあいサロン・・・といった名称で、地域の公民館などで開催されている福祉サロンがある。しかし、これらの利用者は女性がほとんどだと思われる。男性はどうしているのだろうか。男性、特にかつてそれなりの地位や収入があった男性にとって、心地の良い居場所とはどんな場所なのだろうか。

名古屋発 ふれあい・いきいきサロンのすすめ

また、仕事に追われる現役ビジネスマンにとって、居心地が良くゆったり寛げる場所はどんなところなのか。そこにはどのような要件が必要なのか。何かとストレスの多い子育てママはどんな場所を求めているのか・・・。

この日、向日教授は、「居心地の良さは自分の正直な感情に気づくことができる環境 ?」という仮設を提示された。本質を突いているように思う。このあたり、深掘りしていきたい。

2022.10.19 M. Hayashi

※冒頭の写真は、風の強い日、夕闇迫る遺跡公園にて撮影。いろんな形の雲と芝生のコントラストが面白いです。

2年前