6月の例会は、16日(水)、愛知県に緊急事態宣言が発出される中で、2ヶ月連続で全面リモートでの開催となった。今回は、H. Kuwabaraさんによる「動的平衡」に関するお話。出席者は13名くらい。以下、あちこちの領域を縦横無尽に駆け巡った話の内容を私なりに思い出しつつ、手元にあった福岡伸一さんの著書『生物と無生物のあいだ』をパラパラめくりながら、感想を書いてみた。
「動的平衡」に関する理論は、1930年代にルドルフ・シェーンハイマーという人が初めて提唱した。まだDNAの構造もわかっていない戦前のこと。端緒となったのは、ネズミを使った食物として摂取したタンパク質が身体の中をどのように通り過ぎていくかを調べた実験。細かい説明は省略。導き出されたのは以下の結論だ。
“生物が生きているかぎり、栄養学的要求とは無関係に、生体高分子も低分子代謝物もともに変化して止まない。生命とは代謝の持続的変化であり、この変化こそが生命の真の姿である。”
これをシェーンハイマーは、「身体構成成分の動的な状態(The dynamic state of body constituents)」と呼んだ。この動的な状態(dynamic state)という言葉をさらに踏み込んで「動的平衡(dynamic equilibrium)」という言葉を編み出したのは、福岡伸一さんである。福岡さんのウェブサイトのトップページには、動的平衡を象徴するイメージ図が示されている。
つまり、砂浜に作られた楼閣を構成する砂粒も、身体を構成する生体高分子も、常に楼閣や身体という形あるものの中にとどまり続けることはなく、実はごく短い時間に通り過ぎている。砂上の楼閣の砂粒は数日間で入れ替わり、身体中のタンパク質の一部となった窒素は3日間くらいしか体内に留まらないらしい。Kuwabaraさんも触れていた鴨長明の「方丈記」の冒頭を思い出した。
“ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみにうかぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人と棲と、又かくの如し。”
大火や飢饉、地震などの天変地異が頻繁に起こった鎌倉時代初期に広がっていた無常観を現した名文。川の流れを形作る水も、淀みに浮かんで消えたり生じたりする泡(うたかた)も、動的平衡の状態にある。敷衍して、世の中にある人や住まいも同じだという長明の主張は、Kuwabaraさんの”拡張動的平衡論”に通じるような気がした。
さて、基本的なところをおおよそ押さえた上で、Kuwabaraさんは、軽やかに様々な領域の話に飛んでいった。
- 腸壁の細胞が1日で入れ替わる話
- 新型コロナウイルスの流行
- 社長がいなくなると会社の組織はどうなるか?
- 組織のヒエラルキー、2:6:2の法則
- エントロピー増大の法則に抗って酸化・変性・老廃物の発生を絶え間なく排除して新しい秩序を作り出す
- 農業コミュニティを中心とした動的平衡状態(=幸せ)
- 資本主義の行き詰まり
- 動的平衡を壊す人類
- 地球温暖化によって永久凍土が溶けて未知のウイルスが世界に拡散する?
- コモンズを中心とした与え合うコミュニティの必要性
などなど。軽やかすぎてうまく掴めなかった部分も多かったが、開眼させられる話も多かった。個人的に一番納得したのは、最後の方のスライドに出てきた次の文句だ。
作ることよりも、壊すことが優先
変わらないために変わり続ける
分解と合成の絶え間ない均衡
代替・柔軟・可変・回復・修復
特に「変わらないために変わり続ける」は、Kuwabaraさんが語った「長い時間軸で考える」「占有から共有へ」「多様性の重視」「流れの中で見る」「部分的思考に陥らない」といった言葉とともに、まさに現代社会に生きる私たちに求められている思想の流儀だと感じた。
2021.6.26 M. Hayashi
※うちの書棚が映ってしまいました。ペンギンの名前は、ハンフリーといいます。