2021年5月21日(金)、新型コロナウイルス感染症予防のための緊急事態宣言が愛知県下に出されている状況だったため、全面リモートによる開催となった。11名参加。
今回は、今年度のテーマ「異質なものとの出会い / 遭遇 / 邂逅」について深掘りしていくことを目的に、【ダイバーシティの重要性が叫ばれる今日、「多様性を尊ぶ価値観」の醸成が大切。そのためには、「異質なものと出会う経験の積み重ね」が何より重要である。】という仮説に基づき、以下の1. から4. の問いかけを参考に各自が自由に意見を述べた。
【問いかけ】
- あなたは「異質なもの」と出会ったとき、どんな対応をしがちでしょうか。A) とりあえず歓迎する。仲良くしようとする。B) コミュニケーションを試みる。違いを理解しようとする。C) 自然体。少し受け入れてみる。様子を見る。D) 無視する。避ける。E) 嫌がらせをする。いじめる。F) 排斥する。追い出す。G) 逃げる。
- あなたは、これまでの人生でどのような出会いがありましたか。
- 思いがけない出会い(遭遇 / 邂逅)がたくさんあったでしょうか。
- そうした出会い(遭遇 / 邂逅)によって、自分の価値観やその後の人生が変わりましたか。
【回答・意見】
- 1969年、三重県某市に某大手造船会社の巨大な新工場が操業を開始した。そのとき、横浜・川崎方面から大量の児童が私が通う小学校に転校してきた。各学年、1クラス増えたような記憶がある。そのとき、子どもたちの間では色々な出来事が起きたが、なんといっても言葉の衝撃は大きかった。「そやなー。・・なんやに。・・なんやて。」とか言っている伊勢弁どっぷりの世界に突然、「そうじゃん。・・なのよ。・・なんだって。」などという標準語?をネイティブで喋る子が、各クラスに一定数(15~20%くらいだったか)混じるようになったのだ。ここで男子と女子で対応に大きな差が出た。地元の男子はそんな歯の浮くような言葉は強制されても喋らないので、転校生の方の言葉がだんだん伊勢弁に馴染んでいった。一方、多くの女子では逆のことが起きた。地元女子と転校女子が混じった仲良しグループでは、次第に標準語?が共通語となっていったのだ。地元女子たちは、もしかすると「リカちゃん」的な憧れの世界の言葉を喋れることに嬉しさを感じていたのかもしれない。それを私も含め地元男子は冷たい目で見ていた。
- 小学校の頃はいじめっ子だったことを思い出した。でも、成長するにつれてそのことを反省し、いじめに反対するようになった。異質なものへの対応は、成長の過程で変わっていくと思う。
- IT系の会社に出向していたとき出会った人に大きな影響を受けた。彼の図々しさが嫌で初めは逃げていたが、だんだん馴染んできて、彼との付き合いによって自分自身が大きく成長することができた。感謝している。
- 女性が仕事を続けることが難しかった時代、パソコンとの出会いにより起業することができた。はじめは自営からスタートし、途中から仲間とグループを作り、取引先の関係で会社組織とした。
- 小学校、中学校、高校と進む中で、世界が広がっていった。当時、小学生時代は1クラス50人。中学校は一学年360人。それに応じて【問いかけ】1.の答えは成長とともに変化していくのではないか。
- 今は社交的な印象を持たれているが、子どもの頃はD~Gだった。大学に入って変わったように思う。思えば小学校は多様性があった。中学、高校と進むにつれて多様性の幅が狭くなっていった。外国人との付き合いは自分の幅を広げるのに役立った。
- 今は企業の研究所に勤務し、地元に溶け込んで農業をしているが、かつては人間に対してはD、それ以外の生き物などに対してはA。観察者だった。ところが大学の農学部に入ったら変な奴ばかりで、自分自身も変身していった。
- 答えはA~C。転機は2回の転職。全く違う業界に転職することで世界を広げることができた。
- 私の答えはG。逃げる。京都から春日井に引っ越しをしたら、新興住宅地では毎月のように転校生が入ってきた。
- 女子大の物理を出て男性社会である大手企業に就職。いつもマイノリティだった。マジョリティ側の人は苦手。就職してからは居心地の良い仲間と出会い、結婚しても働き続けるという決断をした。その仲間は誰も辞めていない。
以上、メモをもとに思い出しながら書いてみたが、皆さん、異質な人との出会いを通して成長し、多様性を理解できる大人になっていったようだ。まさに、異質なものと出会う経験の積み重ねである。
2021.6.17 M. Hayashi
※写真は、紫陽花と花粉を集めに来たハナムグリ君。「なばなの里」にて。
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